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2008/03/03 月曜日 00:00:00 JST |
コーヒーの実 |
コーヒーの起源
コーヒーはエチオピアで最初に発見されたが、どのような経緯で、いつ頃から栽培され、飲まれるようになったかは判っていない。しかし有力な説として二つの伝説が残っている。
ひとつは6世紀頃、エチオピアのカルディというヤギ使いの少年が、山中でコーヒーの実を食べたヤギが興奮状態になっているのを発見した、という説。
ふたつめは1258年、イスラム神秘主義の修道者であったオマルが、追放されて迷い込んだ山中で鳥に導かれて発見したという説。
いずれも後世に考えられたとも言われており、実際の起源は明らかになっていない。しかし、少なくとも紀元前にはすでにエチオピアでコーヒーの実を潰して丸めたものを携帯食として保存していたとも伝えられる。
いずれも現在とは違い、実を食用とするものであった。
当初は食用の他、生の実や豆の煮汁として飲まれていたと伝えられている。いつ頃から現在のように焙煎した豆を使用するようになったかは不明であるが、13世紀の焙煎器具が発掘されていることから、遅くともその頃には焙煎が行われていたと推察される。
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飲用の歴史・中近東~アジア
紀元前のエチオピア・アビシニア高原では、ガラ族が自生しているコーヒーの実を潰して動物性脂肪を使い団子状に丸めたものを携帯食として利用していたと言われている。また6世紀から9世紀頃にはアラビア半島にコーヒー豆が伝わり、イエメンのイスラム神秘主義の修道者たちが、徹夜で瞑想や祈りを行う際に眠気覚ましとして用いたといわれる。この頃はまだ潰した実を丸めたものや、生の葉や豆を煮出した汁が用いられていたが、13世紀頃になると焙煎が行われるようになる。当時はあくまで一部の修道者だけが用いる宗教的な秘薬であった。しかし1454年に、イエメンの港湾都市であるアデンの法学者、ムフティーやジャマールッディーンが一般民衆にコーヒーの飲用を正式に認める法学的勧告を発した。以降、多くのイスラム法学者たちの間でイスラムの教義に合うかどうか論争を経ながらも、一般民衆に飲用の習慣が広まっていった。その後、中東、イスラム世界の全域に伝播し、16世紀までにはエジプトまでその飲用地域が拡大して
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トルココーヒー
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現代のトルコのカフェ
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1516 年、オスマン帝国によるアラブ地域の併合によってトルコに伝播した。トルコにおいてはアラビア語のカフワがなまって「カフヴェ」と呼ばれ、信仰や薬用より も嗜好品として飲用された。翌17世紀の初頭にはイスタンブールにやってきたアラブ人によってコーヒー飲料を出す店が開かれたとオスマン帝国の年代記に記 録が残る。
このような店舗はカフヴェハー ネ(「カフヴェの家」、すなわち「コーヒー・ハウス」)あるいは単にカフヴェと呼ばれ、庶民や知識人が集まって語り合ったり、詩などの文学作品の朗読会を行う社交の場として広まっていった。その後オスマン帝国では19 世紀に安価なインド産のお茶が持ち込まれたことで、社交場の主な飲み物が紅茶にうつっていくが、現在まで一般に「トルココーヒー」と呼ばれるその飲用法は 家庭や喫茶店で広く行われつづけている。16世紀後半に当時オスマン帝国支配下にあったバルカン諸国にも伝わり、そのため現在でもギリシアなどでの伝統的 コーヒーはいわゆる「トルココーヒー」の形態である。
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日本のコーヒー
日本への伝播の説はいくつかあるが、鎖国下にあった天明年間(1781~1788 年)、長崎の出島にオランダの商人が自家用に持ち込んでいたものが最初だと考えられており、日本人では出島に出入りしていた一部の人が飲用したのみであっ た。1804年、大田南畝(大田蜀山人)によって記された『瓊浦又綴』(けいほゆうてつ)には、「紅毛船にてカウヒイというものをすすむ 豆を黒く炒りて粉にし 白糖を和したるものなり 焦げくさくして味ふるに堪ず」との記載がある。
本格的に輸入されるようになったのは、1858年日米修好通商条約締結の開国以後であり、開国後も横浜の西洋人商館で少量が輸入されるのみであった。
日本で最初のコーヒー店は1888年4月に上野にオープンした可否茶館(かひいちゃかん)といわれている。軽食やアルコール類を提供する近代的なコーヒー店はそれより後の1911年、銀座に開かれたカフェー・プランタンが最初であるとされる。
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長崎港図に描かれた出島(江戸時代の銅版画)

川原慶賀筆「唐蘭館図 蘭船入港図」
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